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台湾半導体産業も一日にして成らず、その歴史に学ぶ
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TSMCに関する報道が日本でも増え、台湾の半導体業界に注目する方も多いだろう。しかし今の姿になるまでには様々な苦労があったことは余り知られていない。台湾の半導体業界を理解するためにもまずはその歴史について簡単に解説をしたい。

外資系主導で始まった台湾半導体産業

当時の高雄輸出加工区の広報資料(國家發展委員會檔案管理局ウェブサイトより)

当時の高雄輸出加工区の広報資料(國家發展委員會檔案管理局ウェブサイトより)

1966年に台湾政府は台湾南部の高雄に最初の輸出加工区を設置したが、ここに同年米国General Instruments社が設立した「高雄電子公司」が台湾最初の半導体組み立て工場と言われている。このほかにも1969年に蘭フィリップスや米TI(テキサス・インスツルメンツ)が台湾に工場を設立している。

この当時は民間でIC(集積回路)が徐々に作り始められた時期なので、半導体組み立てといっても実際にはトランジスタなども含まれる。

日本のIC製造が本格的に立ち上がり始めたのは電卓ブームが起こった1960年代なので、台湾と日本で時間的には大きな差があるわけではない。ただし日本の電気メーカは企業規模も大きく、最初から前工程も含めて国産化を志向していたが、台湾企業はそうではなかったところに違いがある。

「後工程」から始まる

当時台湾に移転されたのは半導体製造工程の中で「後工程」と言われる部分であった。「前工程」はシリコンで電子部品や回路を作る工程であり、「後工程」はシリコンウエハーから個々のチップを切り出して、端子をつけ、樹脂で覆ったりして、実際のトランジスタやICとして出荷するまでの工程を指す。

半導体製造工程の中で後工程は技術的な難易度が低く、外資企業は廉価な労働力を求めて台湾に後工程の工場を設立し、台湾も廉価な労働力を活かして外貨を稼いだのである。

また後工程は前工程と比較して技術的な障壁が低く、資金もそこまで要しないことから、台湾企業の中でも後工程を手掛ける企業が出てくる。華泰電子(OSE)、萬邦電子(現・華新科技、WALSIN)、菱生精密工業(LINGSEN)などは1970年ごろに操業を開始している。

また台湾の理系の名門大学である交通大学が1964年に「半導体実験室」を設立し教育を開始している。台湾最初の半導体関係の人材はこういった企業や大学によって要請されたのである。

台湾政府主導で上流技術を導入

当時の電子工業研究所内(台灣工業文化資產網より)

当時の電子工業研究所内(台灣工業文化資產網より)

1970年代はニクソンショックでドルが切り下げられ、また石油危機が起こるなど、台湾の輸出産業に大きな打撃を与える出来事が起こった。そのため1976年に台湾政府は在米華人による顧問団を介し、米国RCAに350万米ドルを払って、前工程を含めた7.0μmのCMOS/NMOS設計・製造技術の移転を受けることになった。

350万米ドルを現在価値に直すのは難しいが、まず当時の為替相場の1ドル=約300日本円で計算すると10.5億円、また1976年の東京23区の消費者物価指数は60.2なので、15~20億円と言ったところだと思われ、かなりの金額である。

また7.0μm(マイクロメートル、マイクロメートルはmmの千分の一)という細さは、当時としてはもちろん技術難易度が高いが、現在の前工程は1mmの100万分の一であるnm(ナノメートル)単位の話になっているので、ここ数十年の技術の進歩には改めて驚かされる。

実際に技術移転を受けたのは工業技術研究院電子所であり、ここが官営模範工場として半導体工場を運営し、デジタル時計ICなどを製造・販売することになる。

こう書くと簡単に見えるが、政府主導で技術を導入し、官営模範工場を作っても、民間資本の投資がなければ産業の立ち上げは難しい。結果としてまず後工程が既に台湾で立ち上がっているからこそ、上流へ進むこともできたし、現場での経験もある程度積んだ人間を上流技術の技術習得に派遣できたのである。

UMC設立

その後、1981年に工業技術研究院(ITRI)電子所の技術移転を受けて、UMC(聯華電子公司)が設立された。場所は1980年に設立されたばかりの新竹サイエンスパーク(新竹科学園区)内である。

本当はもっと民間主導で新会社を設立する意図があったようだが、当時の民間企業側はリスクの高く見えた前工程を含む半導体製造への投資をためらった。結果としてUMCは民間からの出資が3割程度でスタートしたのである。

ITRIはUMC設置後も製造技術や設計技術における支援を行った。特に1980年代の米国での固定電話機購入や設置に関する規制緩和により、電話機市場が急拡大し、ITRIが設計した電話ICの製造・販売でUMCは黒字経営に転換することができた。

経営が安定したUMCは自社で製品開発を行うことを見据え、海外企業との提携や共同開発で設計・製造技術も自主的に向上させるようになる。

ちなみにUMCは台湾の半導体業界のルーツの一つというだけでなく、日本の三重県にも工場を持っている(富士通から買収)。TSMCより知名度は低いが半導体業界での知名度は高い会社である。

TSMC設立

UMCは立ち上がったが、台湾企業の前工程への投資意欲は低いままであった。そこで再度台湾政府主導で、ITRIでVLSI設計・製造技術を自主開発し、これを技術移転する形で1987年にTSMC(台灣積體電路製造股份有限公司)が設立されたのである。

1チップに載っている素子(平たく言えば部品)の数が大体1000個以上のものはLSI(Large Scale Integration、大規模集積回路)、大体10万個以上でVLSI(Very Large Scale Integration、超LSI)と呼ばれることが多かった。要はより高度なICの設計・製造技術を台湾政府主導で自主開発し、これを元にTSMCを設立したのである。

ちなみに最近の7nmのプロセスの場合は大体20億個の素子を集積できるとされており、桁違いの集積度である。よって今ではLSI・VLSI・ULSIという呼び方も余りされなくなった。

また「自主開発」と書いたが、この時期はどの企業も技術を守る傾向が強まっており、技術移転に応じる海外企業は無かったことが影響している。

「ファブレス」メーカーと受託専業(ファウンドリ)のTSMC

TSMCは最初からIC製造受託専業(ファウンドリ)であることはご存じの方も多いかもしれない。TSMCは前工程を専業としている。後工程は先述したとおり、下請けとして受託する民間企業が台湾にも何社も育っている状態である。

このような製造の一部を受託する会社に対して、半導体の設計・製造・販売まで一貫して行う会社の事は「IDM(Integrated Device Manufacturer、垂直統合型デバイスメーカー)」と呼ばれる。当時はIDMが普通の半導体メーカーだったので、当然こういう言い方はファウンドリの出現で出てきた対義語である。

TSMCが大成功を収めた理由の一つがTSMCの主要顧客である工場を持たない「ファブレス」メーカーの出現であった。しかしTSMC設立当時は「ファブレス」メーカーが多いとはとても言えず、UMCも含めてIDMの製造能力の余力でそれらの需要を引き受けている状態だった。TSMCの受託専業モデルに懐疑的な見解も多かった。

半導体設計・製造技術の広まりと「ファブレス」メーカー

まず米国で「Introduction to VLSI Systems」というVLSIの設計の詳細が1980年に出版され、半導体企業内に留まっていた知識が広く公開されたことがある。素子数が10万個以上になってくると手作業では設計は難しく、設計の自動化やセミカスタムICと呼ばれる半完成品、ユーザー側で回路をプログラムできるPLD(Programable Logic Device)など様々な工夫が必要となる。よってVLSIを設計するかの情報が公開されたことは大きかったのである。

ちなみにこの「Introduction to VLSI Systems」の著者の一人であるカーヴァー・ミード氏は「大規模集積回路(VLSI)システム設計の指導原理の構築と確立への先導的貢献」で2022年に京都賞を受賞している。

こうやって半導体設計に関する知識が広まったこともあり、工場を持たない「ファブレス」ICメーカーがシリコンバレーに出現する。Altera(アルテラ、現在はインテルのFPGA部門)が1983年、1984年にXilinx(ザイリンクス)やChips and Technologies(C&T、1997年にインテルが買収)などが設立されている。

さらに言えば、微細化に伴い、半導体製造工程、特に前工程への投資が大きく膨らみ、規模が大きくない会社が製造工程に投資を行うのは難しくなった。こういったことも設計と製造を分業する要因になったのである。

TSMC設立を主導した張忠謀(Morris Chang)は長く米国半導体業界にいたこともあり、こういったファブレスメーカーが増える潮流を知っており、それにかなりの確信を持っていたと思われる。

UMCも受託専業(ファウンドリ)に

1995年にはUMCも自社ブランドの半導体製造を止め、受託専業(ファウンドリ)に切り替えた。その後顧客から情報漏洩の懸念を抱かれないよう、1996年に自社の設計部門を分離した。

この時に設立されたのは聯發科技(MediaTek)、聯詠科技(Novatek)、聯陽半導體(ITE Tech)、智原科技(Faraday)、聯笙電子(AMIC)、聯傑國際(DAVICOM)で、日本では知名度が低いが、いずれも台湾半導体業界では大手企業と言ってよい。

聯發科技(MediaTek)のように自社ブランドで販売を行うファブレスメーカーとなった企業もあるが、智原科技(Faraday)のように設計の受託に専念し、自社ブランドで販売をしない会社(デザインハウス)もある。ただ台湾のファブレスメーカーの半導体はPCやスマートフォンに組み込まれて使われるものなので、一般消費者にブランドが見えるものではない。

上流から下流まで台湾で半導体のサプライチェーンがそろうように

台湾半導体サプライチェーン概要図

台湾半導体サプライチェーン概要図

こうやって数十年かけ、また海外の動向にも合わせ、台湾での半導体製造の水平分業およびサプライチェーンが確立したのである。現在ではIC設計・前工程・後工程全てで台湾企業が大きな存在感を示している。

ただしサプライチェーンは台湾内で完結しているわけではない。ファブレスメーカーは主に国外であり、台湾企業が製造したものは全世界に出荷している。また製造を支える設備や材料の部分は日本企業が強い分野である。実際、台湾の半導体関係の展示会にも色々な日本企業が出展している。その中には日本の中小企業も含まれる。

産業の「エコシステム(生態系)」はいきなり育たない

こういった台湾半導体業界の歴史から何が学べるであろうか、筆者の見解であるが、いくつか述べたい。

まず土台のないところにいきなり産業を育てられないということである。もし外資などが先駆けとなって、台湾に後工程の工場があったから、現場経験のある半導体の人材が育ち、それが台湾政府主導による上流技術の導入に繋がった。また後工程が台湾になく、米国のファブレスメーカーが成長しなければ、TSMCのようなビジネスモデルは成立しなかっただろう。

次にただ工場を作って製造能力を持つだけでは意味がないということである。日本企業の場合は電卓やデジタル時計、PCなど半導体を使う魅力的な製品があり、その部品を国産化することで半導体部門が大きく成長した。台湾の半導体業界も海外のファブレスメーカーの受託に注力することで大きく育ったのである。

熊本県にTSMCが進出したのは、顧客であるソニーのイメージセンサー工場があることが大きい。また自動車部品大手のデンソーがTSMCの日本子会社に出資したことで、恐らくデンソー向けに半導体を供給することも一因であると言われている。

最近はこういった企業同士の協力関係を「エコシステム(生態系)」と呼ぶことがある。政府などが単純に上から押し付けても育たないという一面を考えると実に良い例えだと思う。

情報収集の重要性

台湾の展示会の様子 (Semicon Taiwan)

台湾の展示会の様子 (Semicon Taiwan)

最後に世界的なトレンドを知る重要性である。VLSI設計技術の普及、米国シリコンバレーのファブレスメーカーの立ち上がりがあったからこそ、TSMCはあのタイミングで立ち上がったのである。

現在でも様々な流れがある、もちろん半導体の微細化など、多額の資金が無いと不可能な話もあるが、オープンなCPUの命令セットの標準を策定しているRISC-V、オープンソースの半導体製造プロジェクト「Open source silicon initiative」のように、技術のオープン化を図る流れもある。

製造後に購入者や設計者が構成を設定できるFPGAというICを使い、様々なAIの処理に最適化したAIチップを開発し、いずれは量産を狙うスタートアップもある。日本の中小企業でもFPGAを扱えるところはあるが、スタートアップは顧客ごとのカスタマイズではなく、特定分野で広く使われる汎用品を試行している。

上記はあくまでも筆者が注目した例であるが、先ほど述べた「エコシステム」を意識すると単純にブースを見るのとは違った観点が出てくる。これは半導体に限らない。台湾を通して世界の「エコシステム」を見ていただき、自社の強みをどう活かすのか考えていただけると面白いと思う。

参考資料

  • 聯電獲准100%併購 日本三重富士通半導體 - 財經要聞 - 工商時報 https://www.chinatimes.com/newspapers/20190926000220-260202?chdtv
  • 超微細7ナノメートル線幅の半導体試作に成功、米IBMなど|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社 https://newswitch.jp/p/1325
  • 產業價值鏈資訊平台 > 半導體產業鏈簡介 https://ic.tpex.org.tw/introduce.php?ic=D000
  • 波瀾壯闊的台灣半導體產業-工業技術與資訊月刊 https://www.itri.org.tw/ListStyle.aspx?DisplayStyle=18_content&SiteID=1&MmmID=1036452026061075714&MGID=1001255510677326221
  • 半導体産業の水平分業化の歴史~ファブレス半導体企業の誕生~ https://blog.nisshinbo-microdevices.co.jp/ja/process14_fabless_history
  • 台灣工業文化資產網全球資訊網-文物史料-產業簡史-半導體業 https://iht.nstm.gov.tw/form/index-1.asp?m=2&m1=3&m2=75&gp=21&id=2
  • カーヴァー・ミード | 京都賞 https://www.kyotoprize.org/laureates/carver_mead/
  • 國家發展委員會檔案管理局-全球資訊網-檔案樂活情報-繁榮經濟的高雄加工出口區-檔案瑰寶-繁榮經濟的高雄加工出口區 https://www.archives.gov.tw/ALohas/ALohasColumn.aspx?c=1316#
  • 台湾半導体産業の初期段階における技術形成(一九七四-一九八三年) https://www.jstage.jst.go.jp/article/bhsj1966/38/4/38_4_56/_pdf
  • 消費者物価指数 2020年基準消費者物価指数1 消費者物価指数(2020年基準) | 統計表・グラフ表示 | 政府統計の総合窓口 https://www.e-stat.go.jp/dbview?sid=0003427113
  • CPI Inflation Calculator https://www.bls.gov/data/inflation_calculator.htm
  • オイルショック - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF
  • ニクソン・ショック - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF
  • 時代巨輪/走過半世紀「高雄電子」百位先鋒 回娘家-高雄加工出口區 | 民報 Taiwan People News https://www.peoplemedia.tw/news/cd975cc3-b8b5-467c-ac75-f2df11417ee1
  • 矽晶・電子:台灣半導體科技的幕後推手與展望|最新文章 - 科技大觀園 https://scitechvista.nat.gov.tw/Article/c000003/detail?ID=5307e86e-9712-4beb-a65c-42401c483a75
  • 第四章 台灣半導體產業的發展 https://nccur.lib.nccu.edu.tw/bitstream/140.119/35291/8/36003808.pdf

※ウェブページについてはアクセス日はいずれも2023年03月31日

筆者について

IDEC横浜・台湾サポートデスク
Pangoo Company Limited 代表 吉野 貴宣
https://www.pangoo.jp/

注意事項

本レポートの内容は筆者個人の見解であり、IDEC横浜を代表するものではありません。また可能な限り注意を払って調査・考察しておりますが、万一誤りや不十分な点がございましたらご容赦ください。


公開日時
2023年4月12日(水)